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大野川合戦まつり紹介動画をぜひ御覧ください。
開催日:令和4年11月12日(土)
大野川河川敷(大南大橋付近)
*小雨決行
10:00~祝詞
10:30~上戸次子ども神楽クラブ
11:30~南蛮ユニット 七色こんぺいとう
12:15~吉野臥龍梅太鼓ジュニア
13:00~開会式
13:30~騎馬疾走①
14:00~豊後大友宗麟鉄砲隊コーナー
15:05~騎馬疾走②
15:30~武者行列「着陣の儀」
17:00~南こうせつスペシャルライブ(無料)
18:15~出陣式
19:00~吉野臥龍梅太鼓
19:20~合戦絵巻・合戦花火
詳しくはコチラを御覧ください。
天生14年(1586年)12月12日、鶴賀城の麓、
当地には戦死した長宗我部信親や十河存保らの墓が残っており、
祭りは、「武者行列」を行い、
また今年は、仙石秀久、十河存保、長宗我部元親、
大分の子どもから年配者までが誇れるまつりの実現と、戸次川の戦いにおいて戦死された2700余人の鎮魂を目的としております。
大分のお祭りには「萬弘寺の市」「本場鶴崎踊大会」「賀来の市」「ななせの火群まつり」などがあります。どのお祭りも市民主導の素晴らしいお祭りです。「大野川合戦まつり」は史実に基づいたものですが、島津軍に大友と四国連合軍が惨敗したので地元ではほとんど忘れ去られた事をおまつりとしています。
長宗我部元親の長男信親は織田信長より刀を頂いたと言う強者、享年22歳、武将十河存保 享年33歳は鬼十河と呼ばれた男。共に戸次川の戦いで戦死。他にも島津軍でも若くして戦死された方、家族がいて、愛する人がいて戦死されています。
この方々をはじめ2700余人の方々の鎮魂を祈る事は、今を生きる私達が祖先や家族、そして地域に感謝する事と同じと思います。人として感謝の気持ちを忘れない為に。
大野川合戦まつりは、もちろん市民主導のおまつりです。大南地区の自治会が各世帯から募金を頂き、商工会議所大南より広告を集め、県内の方々に声をかけチャリティーゴルフコンペを年2回開催し、大南地区をはじめ多くの市民の方々にボランディア参加して頂き、お店を出してもらってます。したがって関わってくれている人数が本当に多いのです。
まつりの内容も、武者行列、着陣式、出陣式、騎馬疾走、鉄砲隊演武など、そして合戦絵巻では暗闇から疾走する騎馬隊、当時南蛮からの最新国崩砲が火を吹き、大筒火縄銃が炸裂し、幾重もの炎の火花が飛びかかる。本物の役者があたかも当時をそのままに魅せて、最後は曲に合わせ花火が幾多の想いを空に描きます。
市民主導で行政があと押しをしてくれてはいるものの、数えきれないボランディアによって成り立っているこのまつりです。まだ凄いことは「戸次川の合戦 歴史交流の証(起請文)」花押印による調印を大分市・南国市・高松市・高知市・日置市が行った事です。まつりが行政を動かしたのです。なんと素敵なまつりと思いませんか?
これだけ凄いおまつりをもっとスケールの大きなものにしたいと私達は考えています。そして大分市の誰しもが自分の家の歴史や地域の歴史を知り、感謝の心や愛を広げてゆきたいのです。
さて、今回の資金調達の目的と資金使途についてですが、イベント運営費や甲冑修理、大刀小刀の整備、南こうせつさんの(里帰り)コンサート開催が資金の目的と使途です。イベント運営費と言いますのは、武者行列が今100名~120名ぐらいですが300名の武者行列であればもっと壮観ですし、槍隊が100名いて50名対50名が交差するだけでも、その迫力は凄いことになるでしょう。騎馬隊にしても今までの最高が10頭で、今年は観客席とステージの幅が狭いので6頭です。これもまた30頭~50頭いると、さながらタイムスリップしたように、リアル映画を観ているように想えるでしょう。
南こうせつさんの実家は鎌倉時代から続く勝光寺と言うお寺です。勝光寺は初代鎮西守護職 大友能直が建久7年(1196年)に建立したと伝えられております。お寺には大友能直公や大友宗麟の名武将「戸次道雪」の版木が残されている大変歴史あるお寺です。
南こうせつさんのコンサートを行う事により、より多くの方々にこの大野川合戦まつりを見て頂きファンになってもらう機会としたいと考えました。
大野川合戦まつり実行委員会 大野川合戦まつり担当者
TEL:097-597-1000 大南市民センター内
Mail:dainan@city.oita.oita.jp
(土日祝日を除く平日8:30~17:15まで)
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大野川合戦まつり実行委員会